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ミネオラ・ツインズ ~六場、四つの夢、(最低)六つのウィッグからなるコメディ~ – 初日

LUCID NOTE SHIBUYA

高難易度。

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観るほうも、演るほうも。南青山5丁目。

登場人物の背景とストーリー展開には、社会への風刺が密接に関係しているようだったけれど、風刺されている社会そのものを知らないせいで、そのシークエンスやセリフにどんな風刺が込められていたのか、よくわからないまま終わってしまった。風刺されている社会とは、米国内の政治や経済、戦争や事件、市民運動や風俗、文化や教育、生活様式、流行や意識変化など、戦後から現代までの米国の社会システム構築に関わるすべてのものを指すのだが、それらを真にただしく知るためには米国人になってもう一度その時代を生きるしかない。つまるところこの舞台は、わかりもしないものを背景にしている以上、腹の底から笑うことなどできっこない舞台、ということになる。演じる側も日本人、観る側も日本人。米国社会を知ったかぶりで演じて、知ったふりをして観る舞台。偏った知識や稚拙な理解をそのままにしておくと、たいていの場合、差別や偏見が生まれてしまうものだが、もしもこの舞台が、米国社会への偏見や米国市民への差別を生んでしまうのなら、それこそ壮大なブラック・コメディだ。気をつけねば。

LUCID NOTE SHIBUYA

見どころはそこじゃなく役者の演技であれば、気分はだいぶん楽になる。大原櫻子さんの熱演は見どころのひとつだ。主役としての存在感は薄いし、二役の使い分けも舞台が進むにつれてこんがらがってたけれど、あの熱のこもった演技はファンにはたまらなかったはず。カーテンコールでのスタンディングオベーションは舞台の内容にではなく、彼女の演技に対してだと思う。熱意という見かたでいうと、小泉さんは大原さんの足元にも及ばない。あの役をこなしたいならもっとカラダを絞ってくれないとコメディも別の意味のコメディになる。八嶋さんの演技はぜんぶがコメディ。彼がいないとこの舞台、コメディとして成立しない。

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実はもう一度だけ観る予定。次回は今日よりも少しはただしく楽しめるといいな。