LUCID NOTE LUCID NOTE | Music show reports and Play stage reports

440 20th Anniversary Premium Live 土岐麻子 × 近藤康平

LUCID NOTE SHIBUYA

終わったばかりのライブの音源の原盤を未編集のままその場で即売するミュージシャンはいない。

//

土岐さんがシモキタへやってきた。代沢5丁目。

ミュージシャンが一曲披露するうちに、近藤さんが一枚のイラストを描きあげ、終演後にその原画を即売する、というこの企画。パンデミックによって音楽イベントが組みづらくなったとき、苦肉の策で企画されたアート系イベント。そんな企画も継続されて早二年。内容も徐々に充実してきて、今日はなんと一枚七千円にまでその価値が跳ね上がっていた。ものの数分で書き上げた落書きにそこまでの価値があるのかは入手したひとが決めることだけれど、まあ、ないよな。そもそもがライブ・ドローイング。ドローイングの最中にこそ価値があるわけで、出来上がった作品そのものには食指が動かない。原画の即売なんて野暮な商売はやめて、ちゃんと画集をつくって物販に並べれば、とは思う。駆け出しのミュージシャンが手作りのCDを売るように。

いっぽうの土岐さんは、この企画の主旨を充分に理解し、それを実践していた。時間のはんぶんを近藤さんとのトークに費やし、そのうちのはんぶん以上を彼と彼の作品への感想と批評に使う。この企画、何度か観てきたけれど、あそこまで近藤さんにコミットするミュージシャンを見たことがない。むしろ、私は勝手に歌うから貴方も勝手に描いてなさい、という主従あるいは無の関係性を、暗黙のうちに見せつけられてきたように思う。トーク中、土岐さんは彼との共通項を見つけては、彼への共感と称賛を口にする。それを聞かされるたびに、客席側の彼への評価も自然と上がる。原画には土岐さんの解釈、評価、感想、土岐さんの楽曲にまつわるストーリーもかけ合わせて付属されるから、ファンにとってもその原画がありがたいものとなり、一点ものという希少性もあいまって、結果的に即売にひとが並ぶ、というカラクリだ。昼の部でそれが成功したことを学んだ土岐さんと近藤さんの、夜の部のトークが長いこと長いこと。企画としては大成功。ただし、440という土岐さんにとってはレアで小さなハコで、土岐さんの歌をじっくり聴きたかったひとには、まったくもってモノ足りないものに。わかっちゃいたけど、なんだかなあ。

LUCID NOTE SHIBUYA

土岐さんの今後もファンとしては気になるところ。しばらくは企画モノへのお呼ばれのライブが続くようだけれど、新曲とかツアーとか。