英国の古い戯曲と思いきや、書かれたのはほんの数年前らしい。
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見どころが多すぎて整理できないけれど、とりいそぎ二点だけ。道玄坂2丁目。
一点目。登場人物のほとんどが七面倒くさい人たちばかり、と思ってしまうのは男性的な感想だろうか。総勢十数名の女性たちがひとつの部屋で大げさな悶着を繰り返しているあいだ、男性はそのなかにはけっして入らず、彼女らの様子をそとから伺うだけ。いよいよ面倒が頂点に達したとき、別の男性が颯爽と登場して結論だけを述べてサクッと去っていく。最後に残った問題も最終手段を行使して解決するのはやっぱり男性で、それによって苦しむのは女性たち、とういう始末。しかもその男性が去ったあとから結末まで、女性だけの追い打ちの連続で長い長い。出来事と経過をだらだらとしゃべり続ける女性に対して、もういいから結論だけ言ってくれと言う男性、みたいな舞台。おもしろい。
二点目。昨今ひんぱんに使われ始めた「寄り添う」というセリフ。一見とてもキレイなことばに聴こえるけれど、実は企業のキャッチ・コピーとか音楽の歌詞とかこういう舞台のセリフでしか見聞きすることがなく、都合の悪いものを隠して別のなにかを良く見せるときに使えば、簡単に効果を得られると錯覚している人だけが安易に使っていることばだ。そういう偽善的な意味あいを内包していることをうすうす気付いているひとは、したがって日常会話ではまず使うことはない。「信じる」と言われてそれを信じるやつはいないのと同じで、「寄り添う」と言われてそれを真に受けるやつはいないのだ。案の定、彼女はそのセリフを聞いて逆上する。この翻訳、どこを切り取っても攻撃的で汚れていて聞くに堪えないフレーズのオン・パレードだけれど、その使い方はとても正しく日常的だ。だからこそおもしろく観られたのかも。いい舞台。
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というわけで、吉田羊さんは美しすぎたし、大原櫻子さんはアバズレがすぎたし、まだチケット取れそうだからもう一度行くかも。