いまこの瞬間もどこかでたくさんのひとの血が流れているなかで。
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今日は川江さんの二年ぶりのバースデー・ライブへ。セルリアン。
公演日を三月九日の当日にするか、直近の休日にするかで迷っている、というウラ事情を小耳に挟んだとき、あの川江さんでもそこで悩むくらいに、いまは平日の集客がそうとう難しいというウワサがエンタメ界隈に蔓延していることを知る。おかげで最近の土日はずっと、行きたいライブがかぶりまくりだ。今日もひとつ、チケットをただの紙切れにしてしまった。しかもチケット代はインフレの真っ只なか、無駄にしたときのショックもそれなりだ。観終わったあとにその中身、成否、良し悪し、上手い下手、当たりはずれが判明するライブは究極の信用取引。したがってどのライブに行くのかを決めるときはおのずと、信用の高さで選ぶことになる。
ただし、信用なんて泥のように脆いもの。今日の川江さんのステージは、ファーストもセカンドも、そのことをよく知っているからこその仕上がりぐあい。すごいな。五十歳は伊達じゃなかった。集まったミュージシャンも、はじけ飛ぶ音の香りも、華麗な加齢も。
今日の川江さんのうたは、声高に世界平和は唱えなかったけれど、身近な人の営みと前向きな心持ちを主人公にして、すくなくともここで聴く人たちの小さな世界だけは守ってくれていた。まあ、ファンタジーだけれどね。それも音楽。これも音楽。
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泥のように脆いのは信用だけじゃないらしい。