それでも舞台は近未来。
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夏の終わりのクドカンさんはただただクドかった。宇田川町。
昭和から平成の初期にかけて流行した渋谷のサブカルチャーを知るひとには、直接的、限定的な笑いを提供してくれる舞台。当時の雰囲気や渋谷そのものを知らないひとには別の笑いも用意されてはいたのだが、同じシーン、同じセリフ、同じタイミングで世代を超えて笑えるシロモノではなく、客席からの笑い声は常にグラデーション、すこしずつズレて聴こえてくる。役者さんにも同じような差異があったのか、のんさんなんかはまわりに付いていくのに必死でぜんぜん笑わせてくれない。おそらく彼女のとっておきの笑いはこれじゃない。虹郎さんも含めてこの世代にはもう古過ぎるんじゃないかな。渋谷の街にしたって当時の文化はすでに歴史の一部になっていて、笑いよりもむしろなつかしさが先行してしまう。クドカンさん、まだこんなことやってんのか。おもしろかったけど。
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くだらなさは一級品。