ブログ再開。イッパツ目はやっぱりこの方々。
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ライブのネット配信がエンタメ業界にとって新たな収益源となり得るのか、その試金石となるライブを至近席で観る。円山町。
サザンのライブを生で画面越しに観るといえば、大晦日の年越しライブがそれだ。かつては地上波の民放テレビ局が生中継で放送していた。地上波だからもちろん無料で観られたのだが、編成の都合でライブの途中から始まり途中で終わるという中途半端な放送内容のせいで、チケットを取れなかった悔しさに身もだえながら観ていた記憶がある。
世に衛星放送が出回り始めたころ、サザンのライブ中継もいち早く地上波から衛星波に切り替わった。有料視聴の契約をすれば、ほぼ全編を観ることが可能になった。最初はスカパーだったかな、今はWOWOWが本流だ。最近では映画館を使ったライブ・ビューイングも経験した。ライブ・ビューイングはネット回線を使う仕組みだから、サザンの生のライブをネットを使って有料で画面越しに見ることは、今回が初めてじゃない。ただし、その内容においてはこれまでとは決定的な違いがある。彼らの目の前に客がまったくいないことだ。
客のいないライブをライブと言えるのかどうかはさておき、映像コンテンツのひとつとしてサザンがどんな配信をしてくれるのか、いちファンとしは楽しみでしようがなかった。いつものライブそのままに、客がいるという前提で魅せてくれるのか、テレビの音楽番組での演奏よろしくカメラだけを意識した体でやるのか、あるいはそのときのノリや楽曲に合わせてその体を切り替えるのか。エンタメ業界四十二年の経験と実績を持つ彼らなら、どれも可能だ。
本気のライブだった。このライブ配信に関わるひとたちぜんいんの心意気を、画面越しにヒシヒシと感じた。前説アナウンスから始まり、客電が消え、ステージが明るくなり、舞台装置が露わになり、メンバーが登場するまでの一連の緊張感とワクワク感は、いつものライブそのままだった。始まってみるとあっという間なのもいつもどおり。客イスの背もたれに設置された小さなライトが、スタンド、アリーナ、センター、全面で灯ったとき、それまで感じていた一抹の寂しさが一気に吹き飛んだ。そのライト、腕に着けるんだよな。そしてその腕を高く突き上げて、みんなでいっしょに歌うんだ、WowWowって。
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終わったあとのあの侘しさもいつもどおり。すべての演奏が終わって、ライブ中にはそんなそぶりをまったく見せなかった桑田さんが最後に思わず発したひとことが沁みた。「…ファンのみんながいないとさびしいです」