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BE THE VOICE ~ 20th アニバーサリーライブ “The PARTY”

LUCID NOTE SHIBUYA

桟敷席からは田舎の夏休みの香りが漂い、ステージからはアーバンテイストなサウンドが流れてくる。子どもたちは音楽にはまったく興味を示さず、大人たちはすっかりステージに釘付けだ。

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今日のハレマメの桟敷席は、まるで、農業を営む本家のおじいちゃんとおばあちゃんに、お盆の帰省で子どもたちの顔を見せようと多くの分家の人たちがあちこちの都会からがやがやと集まってきたかのような雰囲気。あまりに多すぎて誰が誰なのか思い出せないとか、実はいまだに昔の喧嘩を引きずっているとか、ご無沙汰ばかりしていて気まずいとか・・・こういうとき、子どもたちは大人たちの程よい緩衝材として抜群の機能を発揮する。代官山町。

東北の震災を機に、正しくは原発事故を機に、彼らの音楽は彼らのお子さんと共に、東京から福岡へ移動した。引っ越しの直後だったか、あるいは直前だったか、当時の彼ら、特に旦那さんと、同じ問題をかかえる人たちの現状と境遇について、すこしだけ会話をした記憶がある。あのときは避難と表現をしていたが、7年が経過した結果として、彼らの避難は移住に変わっていた。いまでは彼らのお子さんのふるさとは福岡だ。

そんなおふたりの20周年記念ライブ。彼らのライブをちゃんとした場所でちゃんと聴くのは初めてのはずなのだが、初めての気がしなかったのは、そのときもちゃんと聴いていたからだと思う。原発事故がなかったら今日の彼らの音楽を聴くことはなかったと思うと複雑な気分にもなるが、それもこれもすべて20年の間に積み重ねられた人と人とのつながりのエピソードのひとつ。培ってきたエピソードを束ねるとそれは歴史となり、つながりを体系化するとシステムとなる。社会はその歴史とシステムでかろうじて成り立っていて、今日のライブもそれで成立したと言っていい。いいライブだった。ぼくらの歴史はもうすぐ終わるけれど、こどもたちの歴史はこれからが本番だ。

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政治と宗教と金の貸し借りは、友達を失くす。