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宮本笑里 10周年記念リサイタルツアー2017~2018「amour」(東京公演)

LUCID NOTE SHIBUYA

この程度の規模の会場で数々の双眼鏡の砲列。オペラグラスでさえもフォールトなのに、フィールドスコープ(一脚付き)って、それ目的ちがうだろ。何を詰め込んでるのか知らんけど、その足元に置いたパンパンに膨れ上がったリュックサックを、まずはクロークに預けなさい。

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宮本さんの客層、いつの間にかずいぶん変わったよなあ。ステージも客席もまさにコントな空間にくたびれる土曜日の午後。晴海1丁目。

今ではいろんなジャンルのイベントや番組に呼ばれて演奏されている宮本さんだが、彼女の音楽家としてのアイデンティティを知ることができる唯一の機会である本人名義のリサイタル、という視点で今日のライブを見てみると、演奏家としての宮本さんの今後は楽観できないと思えてしまう、そんなライブ。

セットリストの前半は、ポップミュージックや映画音楽、オリジナルなどを組み込んだ構成で全7曲。どんなライブにしたいのか、どんな音楽を聴かせたいのか、意図の見えない曲順と構成が捉えどころのない不安材料としてこちらに届いてくる。後半は、安っぽい小芝居を絡めて場を和まし、宮本さんの魅力を加藤さんなりに解釈して表現するといった、ある意味冒険的で実験的で、言いかたを変えてもよいなら、暴挙に近いステージ。

前半も後半も小品ばかりでいわゆる組曲と呼ばれるものや長尺な大作は選曲されていない。自分のスキルを超える楽曲を目標として設定し、課題曲を決め、それをクリアすることに時間と労力を費やし、年に一度のリサイタルという発表会でその成果を観客に聴かる。観客は音に込められたその努力と思いを受けとめることで感動し、感動することによって次のライブに期待する、というクラシック・ライブのループ方程式は、今回は採用されなかったようだ。

今日のステージが十一年目の今の宮本さんの音楽だとするなら、じゃあこれからどうすんだ?という思いがどうしても頭をよぎってしまう。クラシック奏者にとってのリサイタルとは、ミュージシャンとしての骨格や性質を誰にも邪魔されない状況でファンやリスナーに発信、発表できる貴重な場だ。そもそもリサイタルとはそういう場として機能する性能を内臓していて、聴くものを自然と身構えさせるという力も持ち合わせている。宮本さんはそれを年に一回という頻度で開催してくれているが、その年に一回という貴重な機会をこんなふうに使ってしまったことが今後にどう影響するか・・・。

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加藤さんのフィルターを通して見た宮本さんのイメージは、リュックサックなオジサンたちにはおおいにウケるが、女性には通用しないあざとさと姑息さが見え隠れしていて、ちっともおもしろくない。

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