うちのまわりもきのうからお囃子とお神輿でお祭り。
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きょうはお昼に長富さんのワンマンへ。富ヶ谷1丁目。
たとえ数百年前につくられた楽曲でも初めて聴くならそれは新曲。みごとに聴いたことのない楽曲ばかりを聴けるクラシックのライブは初めてがいっぱいだ。長富さんの今回の選曲はチャイコフスキー。代表曲であれば題名は知らなくても主旋律の一部を聴けば思い出せるかもしれない程度のつたない自信と知識で過ごす九十分。
ファースト・ハーフのチャイコフスキーはぜんぶで十二曲の楽曲集。エントランスで配布されたプログラムによると、なんでも当時チャイコフスキーが月刊誌から依頼されてつくった楽曲を集めたものだそうで、月刊誌から一年間、だからぜんぶで十二曲、ということか。いち年を通して、季節の風景、文化的なイベント、ひとのくらしぶりや風情などをテーマにしてつくられた十二か月分の楽曲を、一月から順番に披露する長富さん。一曲ごとは短いけれどそれを十二曲連続となると、それなりの集中力を弾くほうも聴くほうも共に発揮することになる。このステージと客席との一体感、そして互いに踏み外せない緊張感、たまらんな。
セカンド・ハーフのチャイコフスキーは、かれが学生のころにつくった楽曲だが世に出たのは死後という、いまの音楽業界にもありがちな、亡くなったあとに未発表曲で丸儲け的なにおいのする、貴重なのはわかるけどでもなんとなく素直には受け入れられないあの感じがぷんぷんする四楽章のピアノソナタ。そんな不埒で身勝手な聴き手の思いを、圧倒的な精神力と、巧で優雅な技術力と、パワフルな持続力で、聴かずにはいられない強迫性と放ちながらあっさり凌駕してくれた長富さん。長い四十分間をぶっとおしで弾きたおし、最後の一音の余韻がはけたあと、静かに顔を上げてふうっと深く息を吐き出して、じぶんの持てるものすべてを出し切ったときに見せるあの余裕しゃくしゃくなガッツな顔。いいな。こっちはもうヘトヘトなんだが。
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依頼されて作曲したってことはチャイコフスキーも職業作家だったってことかな。芸術とビジネスの複雑な力関係の問題を、当時のかれも抱えていたのだろうか。