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TAYLOR SWIFT | THE ERAS TOUR / TOKYO DOME – Day 1

LUCID NOTE SHIBUYA

先週の後悔と反省を胸に。

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きょうはテイラー・スウィフトさんの東京公演の初日へ。後楽1丁目。

何人かの知り合いのミュージシャンに、こんどテイラー・スウィフトのライブに行くんだ!って自慢げに話したら、アンタにはぜったい合わないからやめとき、とぜんいんに言われて、ちょっとだけ、いやそうとう不安な気持ちをもちつつ、行ってみた。たしかにいままでまったく関心がなかったし、ほとんど話題性だけで選んだライブだったし、とはいえ、チケットにはずいぶんと大枚を叩いてしまったし、沈んだ気持ちをなんとか高めねば、と思いながらステージ近くの席に着く。見回してみるとまわりのほとんどが海外からの遠征組みで、しかも若い女性の方々ばかり。やっぱり失敗だったかとひとりしょんぼりしていたら、男性ひとりでさびしげに見えたのか、前からうしろから、右やひだりから次々と母国語で話しかけてくれる。ワタシニホンジンだから、日本語でよろしく。ライブが始まるといっせいに、座席を無視してステージ前へと駆け出していった彼女らは、そのへんの日本人にはない勇気とバイタリティを持った生粋のスウィフティーズ。気持ちのいい人たちばかりでよかった。おかげですっかりひとりで視界もひらけて抜群の眺め。

関心がなかったとはいえ、だからこそ、最新のアルバムの楽曲くらいは聴いて覚えようと、昨夏あたりからずっと幾度も聴いてきた。聴くというよりも聴き流すかんじの「ミッドナイツ」。でもやっぱりだれかに言われたとおり、あまり刺さらなかったんだよなあ。ピンとこないというか、なんというか。グラミーでアルバム賞を取ったと聞いたときも、アメリカにも大人の事情ってもんがあるんだろうな、という印象のほうが先にあって、どうやらテイラーさんとの相性は限りなく良くないらしい。だからといってけっしてアンチじゃない。そもそもそこまでの知識も思い入れもないわけで。

などといろいろと思い倦ねた結果、ほんのわずかな聞きかじりと話題性だけを頼りにして来たリスナーをどうやって楽しませてくれるのか、という心持ちで挑んでみることにした。およそ三曲で1セット。セットごとにテーマが設けてあって、舞台装置、ステージ・ビジョンの映像、電飾や照明、小道具や飛び道具、選曲や楽曲アレンジなどを、そのテーマのイメージに合わせて切り替えていく。と同時に、本人の衣装も切り替わるから、そのたびに聴衆が沸く、という仕組み。ぜんぶで10セット以上。短く早く、次々とセット(テーマ)が変わるから、まったく飽きないし、間延びすることもない。この小気味よさ、いまの時代ならではのスピード感。それを構成できるうる楽曲のはば広さ、打ち損じのないフォーカス感。

ほとんどのセットでは、本人はハンドマイクでうたい、広く縦横無尽にステージをうごきまわり、ときにおおぜいのダンサーとともに躍りまくる。テイラーさんの姿を見たい、拝みたい、というひとにはこれだけでも充分。彼女のうた声を聴きたい、というひとのための弾き語りのセットもちゃんと用意されてあって、たとえ楽曲を知らなくても、おおよそのひとが満足できるエンターテインメント・ショウ。すごい、すごいものを観たってかんじ。

バッキングはぜんぶオケという失礼な予想もしていたのだが、それも大はずれ。バンドもコーラスもぜんぶナマ。ただしバンドマンたちは上手と下手にわかれてステージ袖の隅そのまた隅のほうでこっそり演奏していて、まったくうごきが目立たない。バンドが好き、アンサンブルが好き、その一体感も楽しみたい、という稀有なリスナーのためのセットも用意されていて、じつはそのセットでコテンパンにやられてしまった。これぞライブの醍醐味。

TAYLOR SWIFT THE ERAS TOUR in TOKYO DOME

で、楽しめたのかと問われるとなんとも言えないけれど、けっきょくは楽曲を好きになれるかどうかがカギなんだろうな。新盤のリリースをMCでうれしそうに発表されてたけれど、今後はそれに期待?するしかない。しかしこんなステージを四日連続でやるなんて、ただもんじゃない。