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劇団東京乾電池 アトリエ公演「寿歌」(二日目・マチネ)

LUCID NOTE SHIBUYA

観劇の動機は単純。

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シモキタはトーキョーサブカルチャーの総本山。北沢3丁目。

昨夜のライブでヴォーカルが歌ってくれたところによると、遠い昔のシモキタは、レディジェーンで酒をくらう松田優作さんがいて、銭湯でブルースを唄う甲本ヒロトさんがいて、自転車で徘徊する柄本明さんがいる街、だったらしい。今のシモキタも、初心者が音楽や芝居をはじめるための機能をしっかりと保持していて、こんな雨の平日でも多くの若者をざっくりと集めてしまう稀有な街だ。アトリエ乾電池もそんなシモキタが持つ特殊な機能を効果的に活用している施設のようで、平日午後のあいまいな時間でも客席はいっぱいだった。

芝居を観に行こうと判断するとき、演目やジャンル、企画モノか劇団か、脚本や演出はだれか、などといった主催側の都合のほとんどは、日時と料金を除いて、その判断材料には含まれない。観劇の動機として作用するのは、たいていはキャストの顔ぶれであり、こと芝居の集客においては、配役はとても重要な要素らしい。ちなみに行こうと決めたのは昨晩だ。江口さんを数週間前にこの近所で見かたことでこの芝居があることを知り、昨夜のライブで柄本さんのお名前が出たのが決定打になった。つまり今日の動機は江口さんということになる。動機なんて単純なのだ。

ところがいざ行ってみると客は貪欲でわがままで融通の利かない化け物になる。幕が上がってお目当ての役者さんが登場しても、それだけでは満足しないのだ。それは入場時から始まっていて、アトリエ母屋の建て付け、エントランスの雰囲気、もぎりやアテンドスタッフの対応、確保した座席の位置、座り心地、隣席客の素行や態度、場内ぜんたいの匂い、空気。幕が上がると、お目当ての役どころ、活躍ぶり、滑舌、セリフまわし、テンポ、ストーリーの内容、起伏と展開、落としどころ、幕間のタイミング、時間割り、照明や音響の効果、小道具へのこだわり、チームワーク。果ては、自席周囲の反応、場内ぜんたいの反応、客と演者のコミュニケーション、そこへの自分自身の参加可能度。終演後は、場内の余韻の充満度、その持続性、フライヤーの内容、物販の充実度、送り出しやお見送りスタッフの対応、料金の整合性やコストパフォーマンスなどなど、これらすべてが観劇の最終的な感想へと作用する。こういった観劇における期待や、感想を持つにいたるまでの観点はひとによって違うだろうし、挙げればきりがないのだろうけれど、結果的にこれらのどれもが期待値以上の出来と仕上がりでなければ、ポジティブな感想を客は持たないし、持てないのだ。なんてわがままなんだ。

で、それらを総合的に勘案した結果としての今日の芝居を観た感想は、たとえ雨でも「来てよかった」だ。それはすでに「また観たい」へと変換されていて、もうこの段階での観劇の動機はキャストの顔ぶれではなく、劇団そのものになっているから不思議だ。東京乾電池、おそるべし。

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明日と明後日はセミファイナルへ(RWC)。