LUCID NOTE LUCID NOTE | Music show reports and Play stage reports

Seiko Matsuda Concert Tour 2018 Merry-go-round(5日目・東京公演)

LUCID NOTE SHIBUYA

一度は行っときたいライブシリーズの第三弾。松田聖子さんのライブの客入れBGMは松田聖子さん。

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なんてったって最強なのはアイドル。北の丸公園。

開演前にステージ横のスクリーンに新曲のMVを流してくれたのだが、あれだけいるお客さんの誰もが無反応というか無関心というか。終わったあとに拍手も起きない。そんなものはどうでもいいから早く本人を出せ、ということなのだろうか。結局アイドルなんて楽曲ではなく、ビジュアルにのみ価値がある、ということなのか。好きなミュージシャンが丹精込めて作り上げた楽曲に対してリスペクトがないのは、そう思われてもしかたがない。もしもそうなら、こんな演出はやめたほうがいい。

開演前のステージには、濃紺色の重たそうな緞帳が下ろされていた。ステージからアリーナ最前列までのスペースにはカメラレールを敷けるくらいの余裕をもたせ、客席とステージは、ほどよい距離感で対峙していた。前説アナウンスが終わると同時に、アリーナ席から聖子コールが起きた。早く出てこい、というお約束のように沸き起こるあの「せ・い・こ」コールだ。この雰囲気、悪くないのだが、スタンド席を含めた武道館全体を飲み込むような圧倒的な圧力はなかった。あとで知ったのだが、アリーナとスタンドのこの温度差は、チケット代金の差だそうだ。80年代ふうにいうと、S席とA席の差。こういう差別化商法は、たとえ武道館であっても、アイドルなら許されるらしい。

武道館の客電の落ち方は、さすがにブルっとくる。だれのどんなライブでも、いつも同じように落ちる。ひとつ一つの明かりが順番に徐々に落ちていくのではなく、すべての明かりが一瞬で同時に落ちる。ここからが夢の始まり、という合図のような落ち方だ。

緞帳が上がり始めたときにわかったのだが、聖子さんのライブでは、一曲目に何を歌うのかよりも、どんな衣装でどんな登場の仕方をするのかに、ファンは注目しているようだった。登場したときは悲鳴に近いどよめきが起きたが、すくなくとも前半は、どの楽曲においても、イントロが流れはじめたときに起きるはずのどよめきは一度も起きなかった。そのかわり、衣装替えで登場するたびに、どよめきが起きた。聖子さんも聖子さんで、そういうファンの嗜好の傾向を把握しているかのように、登場から最初のMCまでの前半は、楽曲を聴かせることよりも、自分のビジュアルを見せることに比重を置いていた。この前半数曲のステージングに消費した彼女の運動量は、見ているこっちも息切れしそうなほどの重さと速さだった。歌唱はヘッドマイクをお飾りにしたいわゆる口パクで、演奏も当然のようにオケなのだが、ファンが喜ぶならそれもアリなのだ。ちなみにその前半のセットリストは、この6月にリリースされた最新アルバムの楽曲を中心に構成されていた(らしい)。そしてこのライブのタイトルの「Merry-go-round」は、最新アルバムのタイトルと同じだ。つまり彼女は、せっかくつくったアルバムの楽曲を、ファンに聴かせるのではなく、ファンに自分の姿を見せるために使った、ということだ。このやるせなさ、わかる人にはわかると思う。

とはいえ、見せられるばかりでは納得しないファンのために、その後は生声による生歌も披露していた。聖子さんのライブで、口パクか生声かを聴き分ける方法はいたって簡単だ。聴こえてくる声の音質がまったく違うし、現状の喉で出せ得る声に合わてギリギリまで下げたキーで歌っているし、なにより生歌のときは、思うように出せない自分の声に対して苦悶する表情を、ステージ上で臆面もなく見せていた。自分は歌わずに客にマイクを向けて歌わせるシーンが幾度もあったが、それは自分の声が自分の理想通りに出せないと自分自身で判断したときにやってしまう悪しき演出だ。

ライブ後半からは、その口パクと生声をうまく使い分け、往年のヒット曲も含めたステージングで一気にオーラスへ。MCもアイドル然とした話しっぷりと、生来のアバズレな素の声をうまく使い分け、日本でもっとも成功したアイドルのひとりとして、ファンをしっかりと楽しませていた。アルバムのリリースにひっかけたツアーではあるものの、新規のリスナーの獲得を試みるライブではなかったのは腑に落ちなかったが、それだけに既存のファンのみなさんは充分に楽しめたようだし、喜んでもいたようだった。なんてったって彼女は彼らのアイドルだ。なにをやっても許される。

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アイドルアイドルって何度も書いたけれど、ミュージシャンとしての顔も、ほんの一瞬だけれど、見せてくれたのが今日の収穫。声は出せなくなっちゃったけれど、あれができるなら松田さんもまだまだぜんぜん。