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LOVE Live 2018

LUCID NOTE SHIBUYA

LOVE・YA・DAYのMCで、TFMでラジオパーソナリティを担当することになったことを嬉しそうに話されていたのは、2009年3月。春。

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長丁場のライブならお任せあれ。宇田川町。

ベスト盤をリリースするにあたり、おそらくすべてのミュージシャンがそうするように、LOVEさんもこの10年の間にリリースした曲のすべてを、改めて聴きなおすという作業をしたそうだ。そしてリスナーも、リリースされたそのベスト盤をとおして、この10年の間の自分自身を改めて問いなおすという作業をLOVEさんと同じようにたどることになる。今日はそんなライブ。過ちのサニーが今日のベストアクト。演奏、音響、照明、お客さん、LOVEさん。すべてが一体。LOVEさんの全力の右ストレート。弓木ちゃんの軽い左ジャブの連打。映像でいいからもう一回。大阪行こうかな(笑)

1月の青山でのLOVEさんのライブでも感じたことだが、彼女は音楽から、あるいはライブからと言い換えてもいいけれど、たとえばラジオの仕事や政治への問いかけや被災者への支援活動を、切り離すことをしない。彼女にとっては、音楽のなかの一部としてラジオがあり、政治があり、支援活動がある。

支援活動に関して言えば、仕事(ジョブ)として支援活動に従事する団体や人を除けば、たとえば一般企業や労働者は、社会貢献やCSRの一環、あるいは無償ボランティアとして、支援活動と本業を明確に切り離している。明確にとは、時間もお金も気持ちも、ということだ。活動していくには、切り離すしかないという立場の企業や個人もいれば、切り離すのが当然という立場をとる企業や個人もいる。いずれにしても活動と本業は別ものとして扱われるのが今の日本だ。だがLOVEさんは違う。音楽もラジオも政治も支援活動もぜんぶ一緒くただ。ライブでも一緒くたにして歌い、演奏する。だから、聴く側もいっしょくたにして聴くことになる。それは、たとえその曲がいい曲だったとしても、あるいは演奏や音響、照明が抜群によかったとしても、LOVEさんのことなら言うことやることぜんぶ好き、という人以外の人には、正しく音が届かない理由として作用している。一緒くたによって感じるこのあいまいさは、ことライブにかけては、きわめてデメリットなものとして機能する。

そんなLOVEさんの自由奔放さを許容している社長さんはまさに聖女だし、そんなすごい社長さんがそばにいるLOVEさんを羨ましく感じたりもする。これからまた10年後、どんなミュージシャンになってるか、あるいはどんないっぱしの活動家になってるか・・・。

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相馬はいいとこだぞ。LOVEさん大好きってひとは必ず応援しに行くように。