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井上昌己 Birthday Live 2009

LUCID NOTE SHIBUYA

変われなかったのか、変わりたくなかったのか。どちらにしても、結果は同じだ。

三連休の最後に選んだのは井上昌己(いのうえしょうこ)さんのライヴ。彼女は、明日が誕生日、なのだそうだ。

いったん掴んだ夢は、ずっと離さずにいたい、と思う気持ちはわかるけれど、長い間それをずっと離さずにいると、その夢も次第に廃れてくる、という現実を見た気がする。いつまでも若いままではいられないし、年齢と共に変化を求める姿こそ、ホンモノだと思う。彼女の言う「虚飾の世界を抜け出して、自分のやりたい音楽を求めてきた」という発言の意味を、少しだけ履き違えて受け取ってしまったようだ。

井上さんのMCのコメントを、素直にそのまま受け入れれば、彼女がこれからも続けていきたいと仰る音楽は、20年前と変わらない音楽、ということのようだった。唄い方も発声も、ライヴのアレンジも構成も、旧き佳き時代のままだ。なんら変わりがない。「変わらない良さ」という見方もあるけれど、クラシカル・アイドルを聴き続けるリスナーは、意外と少ない。それを良しと思えるのは、時代のノスタルジーに浸れるほんの一瞬だけだし、もしもその感覚をライヴ中にずっと持続できたとしても、終演して会場を出た瞬間に、なんの変化も成長もないまま歳だけが過ぎてた、という情けない感覚と、日常の現実というカオスが否応なく襲ってきてしまう。そんなライヴは、退屈なだけだ。

井上さんがこの20年、今日のようなライヴをずっと続けてきたのだとしたら、それはそれで凄いことだとは思う。でも、旧い固定のファンだけを頼りにしたライヴを続けていても、何も変わらないし、変えようとしても変えづらくなる。たとえばだから「休業」するベテランのミュージシャンも多い。

時代の変化とともにミュージシャンも変わり、ファンも変わっていかないと、音楽を続けたくても続けられなくなる、聴きたくても聴けなくなる、そんな時代がすぐそこまでやって来てる。井上さんも、「今はCDが売れない時代」と仰っていた。だから「レコード会社はあの手この手を打っている」とも。そうじゃなくて、困るのはレコード会社だけじゃない。惨めなライヴしかできないミュージシャンも、同じように淘汰されるってことなのだ。だって、録音した音を聴いてもらえないなら、生の音を聴いてもらうしか、ミュージシャンには手段がないから。

年齢とともに、頭も体も感性も、なかなか自分の思うようにはならなくなってくる。若い世代が時代の変化にフレキシブルでいられるのは、まさに若いから、だからだ。井上さんも、明日でジャス・フォー(モロ・フォー)だそうだ。まだ若いのか、もう若くないのか、同世代としては明日以降の彼女に注目したい。

なぁ――――――――――んちゃってw お誕生日おめでとう!